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   <title>太宰府と菅原道真</title>
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   <published>2007-08-31T06:23:02Z</published>
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      太宰府といえば「太宰府天満宮」。太宰府天満宮は平安時代の学者で漢詩人で、さらには政治家と

いう、マルチな天才、菅原 道真（すがわら の みちざね）公の御墓所（お墓）の上に社殿を造り

、その神霊を奉る神社です。

菅原 道真（すがわら の みちざね）公は幼少より詩歌の才能を見出され、神童と呼ばれ、その後

もトントンと出世街道を突き進み、５０歳を過ぎてもその才能はあふれんばかりだったそうです。

それが道真公の主張を嫌う藤原氏などの有力貴族の反発が表面化するようになり、ついには左遷、

子供たちも流罪を受けてしまいます。

菅原 道真（すがわら の みちざね）公が左遷を受けた地がこの太宰府です。

「学問の神」「至誠の神」として有名な菅原 道真公ですが、死後、京には異変が相次ぎ、醍醐天

皇の皇子が次々に病死します。

さらには朝議中の清涼殿が落雷を受け、朝廷要人に多くの死傷者が出ました。清涼殿落雷の事件か

ら道真公の怨霊は「雷神」と結びつけられました。

これらが道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行い、子供たちも流罪を解か

れ、京に呼び返されました。
また、火雷天神が祭られていた京都の北野に北野天満宮を建立し、道真の祟りを鎮めようとしまし

た。

それ以降、１００年ほど大災害が起きるたびに道真の祟りとして恐れられたといいますから、当時

の左遷が、よほどひどい仕打ちであったのだと想像されます。


日本各地の地名としても残る「天神」のそもそもの由来は「天神様」すなわち「祟り封じ」のため

であったといわれています。

災害の記憶が風化するに従い道真が生前優れた学者・詩人であったことから、後に天神は学問の神

として信仰されるようになり、全国に天神信仰が広まることになりました。

（参照：「太宰府天満宮」http://www.dazaifutenmangu.or.jp/home.htm
Wikipedia　「菅原道真」http://ja.wikipedia.org/wiki/）
      
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